昭和54年01月28日 朝の御理解
天地書附
「生神金光大神天地金乃神一心に願 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい。」
世界総氏子身上安全 世界真の平和。これが金光教の願いなんです。その金光教の願いを、金光教の信者の一人一人がが願いとしなければならない事も勿論です。ね。果たしてお互い、その世界総氏子身上安全世界真の平和を、どれ程の祈りをもって祈らせて、願わせて頂いておるかという事です。でまず唱え言葉をしてのそれであるなら、でないけれども、それがそれこそ、自分の助かりが隣の助かりにつながっていく。ね。自分の家の清まりがね、隣の家の清まりにもつながっていく。
自分の家の前を清めさせてもらう。綺麗にさしてもらう。それが隣の家にもつながっていくような。自分の家さえよかればよいお言うて、こんな掃き方をする。(ポンポン左右にはねるだけ)両方にこうやって。こっちの隣にもごみが行く、こっちの隣にもゴミが行くと言った様な。ね。もう問題は、まず私が助からなければならんのですけれども、その助かりが、天地書附によるのでなからないかんのです。ね。信心はまず、私自身が助からなければならんということですけれども。
それがなら、その自分の助かりが周囲を汚すと言った様な助かりではいけんのです。いわゆる、和賀心による助かりを求めて行くのです。願う氏子におかげを授けと。だから願う氏子におかげを授けという時には、只神様とこう願う事によって私共の願いが、ま成就するのですけども。次には理解申して聞かせとありますからね。その理解にはどうあるかと言うと、神も助かり氏子も立ち行く。ね。親子が一緒に助かり合う。ね。人間同志が助かり合うて行くという事に、つながって行くところの助かりを求める。
そこでまず私が助からなんという事は私がまず、なら和賀心を基軸として祈願詞にございますようにね、和賀心を基軸とする。その和賀心というのは、なかなかそう簡単なこっちゃないのですけれどもね。結局その和賀心をめざす様々な問題を通し、様々な難儀を通し日々の、いうならば、心行家業の行をさせて頂きながら、和賀心とは和賀心とはと目指していく。ね。それをいうならば和賀心をめざす手立てをね。合楽理念で説くのです。ね。天地との調和。ね。
又は天地書附を基軸にしてと言うても、なら天地書附の芯は和賀心なんです。ね。その芯が、和賀心になる事の手立ては説かない。天地との調和という事がですね。ここで言うところの天地のリズムを聞くというね。いうなら天地のリズムに乗っての生き方が、天地との調和を保った時なんです。ね。それをここでは、いうならば、いろんな角度から容易う説く。それを行じて行きよると、有難うなり勿体ない事だと言うことになり、しかもそれが調子が出でくると本当に、調子に乗り過ぎる位な愉快さがうまれてくる。
そこをぐっとこう押えながら、ね、いうならば、天地との調和を保っていくところの生き方をめざす。そこからいうならば真の平和。総氏子身上安全世界真の平和というのは、そこから生まれてくるんだと言うのです。ね。それで皆さんがもう毎日のように頂きよるから、ようく分っておるようにあるけれども、そんならあんたどんが今、天地の親神様っていう方はどういうお方ですかと。そりゃあんた、天地の親神様たいと言う位のことじゃなかじゃろうか。ね。
心と言うのでしょうか、天地の親神様の性状とでも言うのでしょうか。ね。その天地の親神様のお心がわかると、それこそ合掌せずにはおられん。わかってくると。昨日の御理解じゃないけれどもね、なつかしうてしたわしうて、ね。いとおしうまでなってくる天地とのつながり、天地の親神様と私共の関わり合いというものが、そういういうならば、情念で神様と、いうならば神も助かり氏子も立ち行くと言うのは、親と子がそう言う様に、なつかしがり合う。いわゆる合楽しあう。
生みなされてくるところのおかげ。おかげは和賀心にあり。ね。神様と私共の調和音を聞かせて頂きながら、いわゆるリズムを聞かして頂きながら、天地の親神様との交流を分らしてもろうて、そこから生みなされてくるところのおかげを、おかげは和賀心にありと教えられたんだと思うんです。ですからね、自分の心が何とはなしに平穏無事で豊かに、何とはなしに嬉しうてね、何とはなしに喜ばしい。それこそおめでとうございます。ち言おうごたる心の状態が、そのまま和賀心ではないという事です。
どこまでも、天地との調和音というものを聞きながら、その天地との調和音をいわゆるリズムに乗りながら、有難いなあ、勿体ないなあと思う心が和賀心です。只ね平和の和というのが書いちゃるけんで自分の心が平穏であり、自分の心が何とはなしに有難いこっちゃある、勿体ない事じゃあるといいよるけれども、それはいわゆる無風状態で、あれに恵まれこれに恵まれておる時。そういう心が生まれてくる場合もあります。よく似てますけれども、それではない。
金光教で言う和賀心と言うのは、そこではない。どこまでも天地との間に通うところの心でなからなければ、神も助かり氏子も立ち行くという事にならん。そこから生まれてくる心を私は和賀心だと思うのです。昨日は学院の高松和子さんから手紙が参りました。それで先日、これは討論会があった。ね。その時に渕上君が、もう本当にものの見事に合楽理念を説いたと言うんですね。それはどういうことかと言うと、東京のある偉い先生が講師に見えられた。
そしてその、これからの金光教の教師をね、家に御結界に座っとるだけじゃでけん。外にも働きかけなきゃいけない。ね。そしていうなら、その外に働きかけていくところの、手立てというものを、覚えていかなきゃいけない、というお話しがあってから、そういう話しに対して真っ向から、合楽ではこう説くという話しをしたらしいです。だから分るものは非常に感心じた。分らない者は、結局討論ですからいわゆる、反発な意見も出たという事なんです。
その手紙を読ませて頂きながら、私は感じた事なんですけれども、合楽理念は教祖の御教えを、いよいよ助かりの理念、助かりの原点として明らかにするものだということです。合楽理念合楽理念と言うから、合楽の独創的なものというのじゃなくて、教祖の御教えのね教祖の。だから合楽理念とは、ならどういう事かと例えば問われたらです、教祖の御教えをいよいよ助かりの理念として、教祖の御教えの中から、いうならば頂いて、それを教祖のみ教えの助かりの生粋なんだね。
いうなら、解り易く言うなら、教祖の御教えが沢山あるが、それをその生粋の助かりの事につながる。人間が助かっていく事のための、理念を明らかにしていくという。外から持って来たもんじゃない。教祖の御教えの中から。ね。それも人間が助かるという事の生粋のものである。というふうにね。だからよそから。ところがなかなか教祖の御教えをです、そういう助かりの人間が助かっていく事のための、その理念というところまで高め上げたもの。
おかげは和賀心にあるんだぞ。和賀心を基軸にしていかねばいけないよと、現在も言うておる。また、天地との調和という事も言っておるけれども、どういう生き方をすれば、天地との調和が生まれてくるか。どういう生き方になれば、和賀心が自ずと出来てくる事になるかという事を説いてあるのが、私は合楽理念だという事になるのです。ね。私共と天地との交流。それが有難いものであり勿体ない。
どういう場合であっても、反対に反対に、例えば願いの反対反対になっても、一つのリズムに乗っての、こう楽しうて答えん。ね。きっちっと合うていくけん、それがもう楽しうて堪えん。ね。あれは長唄でしたでしょうかね、茶つぼという踊りを私、見た事がありますが、もう三味線とはずうっと、離れて踊って行くという踊りなんです。いわゆる、チンとかテンとか音がするとに、とこう足をそろえて、手ぶりをそろえて行くのが、普通の踊りです。、
ところがテンと言うのにちょっと間があって、その間のところで踊って行くという舞なんです。だからね、そのリズムに乗って来る時なら、その反対になり反対になり、また裏目になり裏目になりしながらのがも、何とも言えんそのありがたいものが、その味わいというものが生まれてくるわけですね。そして神様ちはまちがいないなあ、神様ちはまちがいないなあと思えるんです。自分がこんなに間違うとるとに、おかげの方だけはきっちっと頂きよると言うのは、おかしいでしょうが。ね。
間違ったら間違うた時、ぱっと神様がいちいちこう指摘して下さるかのように、その働きがいまれてくるという事がね、有り難い。そこで私は昨日、信徒会にお出でられた方達は頂いとるでしょうけれども、秋永先生が、これは書いておる扉のところに、先日も読ませて頂いたと、だからせめてね、合楽で信心のけいこをさして頂く人達はね、ここに書いてあるような事位は一つ、充分人にも説明しこのところから行くと、日頃頂いとる教えが何ぼも出てくる。
これだけの事から。ね。一寸読ませて頂きましょうかね。先日も読みましたけれど。天地金乃神様とはどういう神様なのか。とまずそこんところを求めなければいけない。どういう働きをして下さるのか。も分らなければいけない。和賀心であらねばならない原理はなぜ、おかげは和賀心にあるのか。その手立ての根本は。とあります。それを私は、その根本を合楽理念。と言っているわけです。天地金乃神様は親神様であり、親の情感をこめて、氏子可愛いの一念のみの神様である。
天地金乃神様の働きは、例え幾億年かかろうと一切を丸うせずにはおかん。という働きしかない。だから幾億年かかっても、丸うせにゃおかんというのに、ならそれは分らんからそこであって、それを分って本気で丸うなろうという気になる。丸うなそうという働きがある。ここにパン(両手を叩かれる)と音が出てくる。助けたいという神の願い。助かりたいという私共。その助かりたいと助けたいものと一つになるのですから、パンと音が出てくるわけです。
ところが、どげん打ったちゃ音が出てこんなら、何かここに邪魔になるものがあるという事を分っていく事なんです。ね。何かここに障害。その障害を私共が御理解を頂かないとわからない。それを信心は、日々の改まりが第一じゃ。これを取り除いてしまわなければ、改まってしまわなければではなくて、そこに気付かせてもろうて改まるという事に焦点が置かれる。もうそこに天地の神様の働きが段々出来てくるというわけ。これをね、また日頃頂いておる教えを説明すると限りがない。
和賀心こそ生神の心であり、丸うなろうとする心であるから、天地の丸うせずにはおかん働きを共に出会う心である。柿の種にはすでに柿の芽があるように、人間は生まれながらにして生神の性をもっている。柿の種も土のぬくもりなしに芽ぶき、芽ぐまぬ(芽が出ないという意味でしょう)ように、人間の生神の性もまた、土の心で育たねば表れることがない。なら土の心とは。という事をまたここで簡単に言うと、黙って治めると言った様な信心を、一生懸命皆がしておるわけ。
和賀心への手立ては、限りなく美しい天の心。黙って受けぬく地の心を頂こう、身につけようとする一つの精進である。というふうに書いてあります。ね。だからこれを、これだけの芯が出来ておるとね。なら土の心ちはどげなこつの、天の心ちはどげなこつのと言うわけなんです。土の心とは黙って治めることですよと。もう天の心とは、ね、限りなく美しうなる。あたえてあたえて止まない心ですよと。例えばそればってん、あんたいっちょん土の心じゃなかじゃんの。と言われたらそれでおしまいになる。
実際はね。私自身も黙って治めるというものが、身につかなければそれが伝わっていかん。ね。あんたすぐ赤面弁慶になって、言いわけするじゃんの。と言うたら駄目なんです。水の心もう限りなく美しい心。もうあんたごたる汚か人間はおらんばい。ち言われたら、もうそれっきりのこと。ほんなことそう言やぁあんた美しかのと。そう言やぁあんた何でも黙って治めるもんの。
というものをまず身につけて、合楽理念は説かなければ。ね。だからそれを身につけていくという事が、有難いのであり勿体ないのである。しかもそこに、愉快なまでの天地を聞く事が出来るということ。今日はそういう意味でね、この和賀心というのがね、世界総氏子身上安全世界真の平和という事は、和賀心によらなければ、それの実現を見る事は出来ない。それも世界総氏子と願っておるけども、まずは私自身の助かり。そして隣の助かりに。自分方の前がきれいになったらね。
また隣も清まっていくと言う様なね、働きが身について来なければならない。人間の助かりの、いうならば理念というものがです、ね、合楽理念にあるならばその合楽理念を、いよいよマスタ-させてもろうて、おかげを頂いてもらわんならん。ね。それをまた、説明も出来るだけに、自分もまた、それによっておかげを頂き、それをまた人にも伝えていかなければならない。今日は天地書附の内容を聞いて頂きました。
どうぞ。